梅雨の時期に数日部屋を閉め切っていると畳にカビが生える。空き家になって人が住まなくなった家はしばらくすると屋根の瓦と瓦の重なっている隙間から苔や草が生えてきたり、雨が漏りがはじまり大雨などで一気に屋根が崩れ落ちる。昨日の教育後援会の総会はモノも人も手入れが大事と改めて思いました。
PTA役員の人材確保が年々難しくなり試行錯誤しながらという現状で、約十数年の周期で学校が荒れる。一気に荒れる。自己紹介でその時を体験した教員。そのあとのメンバーの言葉が心に残りました。保護者が学校から引いてしまうと学校が荒れる。今でこそ約二ヶ月に数日の割合で私も参加して挨拶運動をしていますが当時は毎日校門へ立って生徒の登校を見守っていたそうです。勿論下校時も要所要所へ出向き、地域の方達にも多大な協力を得ながら皆の苦労の上に現在の安定した学校になってると。「保護者が引いてしまうと学校が荒れる」かなりぐさっと突き刺さりました。学校へ来るにはそれぞれ理由がある事でしょうが、私は私が行かなければ、他の人に負担がかかる、あと人数合わせくらいの単純な考えを改めさせられました。もう少し広く全体のことを視野に入れて物事を考える必要があります。
家は住む人がいて毎日生活をし家の中を歩き回る事で新鮮な空気が供給されよどんだ空気がかき回される事で畳や柱、壁、襖などが家全体が息をする事が出来る。モノも自分自身も手入れを怠ってはならないと肝に命じていきたいと思います。それから、これに関してもう一生思いだすこともないとそれすらも思いもつかなかったこともよみがえってきました。
数年前の人権修会で堺市の小学校の発表で、色々な事情でほぼ毎日家庭訪問をしている。この学校の最善の取り組みを続ける為、新しい先生にもしっかりと伝えながら同時に新しい風、意見も取り入れながら前進し取り組んでいます。(ちょうど今頃異動後でそういう事をやり取りしているのでしょう)そんな事や、勉強、学力はなぜ必要なのか、「勉強して、勉強して、いい高校、いい大学へ行くためじゃないんだ」「勉強して差別をしたり人を見下すためじゃないんだ」「自分の親の姿や、しんどい子、辛い立場にある子の気持ちがわかるためになんだ」とか、「差別、自分の周りにある矛盾や、世の中の矛盾を感じとるために学力が必要なんだ、その矛盾を変えていくために学力が必要なんだ、矛盾を変えるためには一人じゃできないから、どんな人と、どうういう風に繋がっていくか、そのためにも学力が必要なんだ」など「新鮮な風の流れ」というイメージからいろいろなことが思い起こされ、ちょっと内容がばらばらになってきましたが、とにかく昨日は私にとってかなり有益な総会でした。
上の写真は、い草の刈り取り後にい草を結束し泥染め作業を行っている様子です。この作業に至るまでにも私たちの想像を超える手間暇を必要としてきたのだと思います。